『フードジャーニー』を読まれた方のメッセージを少しずつお届けしていきます。皆さん、ありがとうございます!
竹倉史人著『土偶を読む』、板野肯三著『地球人のための超植物入門』、清水友邦著『よみがえる女神』、優花著『新しい世界2021』、そして11月の暮れに読んだ長沼敬憲著『フードジャーニー』。この5冊は2021年に最も僕が関心のあるテーマについて深く揺さぶりをかけてくれた本であり、清水氏を除く4人の著書とは奇しくもコロナ禍で対面が難しい中リアルにお会いし話すことが出来た、不思議な縁ある本でもある。
単なるカレー屋ではあるが、僕は地球激変期の今、たとえば気候変動に対し西洋偏重的なサイエンステクノロジーではもはや解決出来ないと日本人やアジア、ポリネシアはじめや多くの先住民族系の人々が直観的に分かっている今、ニューアースで生存を人類が許されなる為の「解」とは何か、をネオ縄文×テクノロジー、ネイティブジャパニーズ、ムー×アトランティス、全存在エネルギー論、腸脳地天人類管説、植物力と人マイクロバイオームをキーワードに何かヒントを導き出せないか、考えていたのだが、上記5冊は示唆に富み、読む人の意識を「日本人」的かつ「2020〜縄文回帰」、ルーツへの意識つまり日本の国土にグラウンディングしむける、さらには地球人意識の発露へと向かわせる良ききっかけになると感じている。
一冊の本を読んで1行心に残る文があれば万歳と思っているのだが、今回読んだフードジャーニーは各章に名文が散りばめられており驚いた。単に食べ物の話ではない。長沼さんの統合知(生体コミュニケーションという視点だそうだ)から紡ぎ出された本書は、僕の関心である「新地球生存への解」へ向けて、多方面からの思考の滑走路を備えていて、2030年代の地球人スタンダード意識や生活スタイルの礎が記されている、と思った。日本人感性、行動スタイル、そして日本人的霊性が今のぶっ壊れそうな地球を救い、なんとか地球と人類が共生できるスイートスポットを見つけられるキーワードであり、志や使命感を持ったアクションになると信じているのだが、この5冊は今の日本人の意識をアップデートするのに最適であると思う。カオスな雑文になったが、印象深い文をひとつ選べというなら65頁で長沼さんが書かれている「すき間の多いカオスの中にこそ、生きる自由は存在します」という名文をここに紹介したい。
フードと幸福に関しては、いつも僕は小説「シャンタラム』に出てくる、幸せとはお腹いっぱいであること、幸せではないとは満たされず腹がへっていること、という文章を思い出すのだが、同様のことが書かれていて頷いてしまった。また、全体を通して『フードジャーニー』の根底には井上ひさし氏の信条である「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」が感じられる、読みやすくかつ頭に入りやすい本であった。
竹迫順平(「極楽カリー」店主)
https://gokurakucurry.com
この本は僕の心に
ほら、「ここ」と「そこ」を隔てる境目を
よくよく見つめてごらん、と長沼さんが
そっと語りかけてくれたような、
とても大事な視点を
新たに気づかせてくれた本です。
この世界も、そして僕たちの身体の中も、
また過去も今もこれからも、
全てが分かれていてそれでいて分かれていない。
長沼さんの見ている景色を、時空を超えて
一緒に旅をさせてくれたような
気分にさせてくれました。続編が待ち遠しいです。
坂本達也(セラピスト/映像クリエイター)
http://www.instagram.com/___skmt30
すべては膜でつながっているーー本の表紙にもなっている、地球から社会、身体、細胞、器官にいたるマクロからミクロスケールの生命体の連続性が、身体、心、頭にすっと落ちていく作品です。
「持続可能性」や「自然との共生」というテーマに人類が対峙する時代、わたしたち個々人の日々の生の豊かさがどのようにそうした公共の幸福にもつながりうるか、を柔らかく且つ明瞭に示してくれています。
美味しい日本食を頂くことで世界の幸福を増幅していける、突破口はそこからだ、とほっこりゆるんで腹が決まりました。
杉本あおい(持続可能性科学者)
わたしが本屋さんだったら、この本を何処に並べるだろう。
ジャンルを軽く飛び越え、バラバラのピースが繋がり、見事に融合されている。
読み初めから物語りに引き込まれ、その旅は過去と現在を繋ぐ地球の旅のよう。
「人は食べて代謝して、快を求めて旅をした」。フードジャーニーは、人が(生物が)本来とてもシンプルだということを思い出す旅なのかもしれません。
膨大な取材と、実際に旅をした実体験から出る言葉、長沼さんの哲学が言葉を通して映像に映しだされているようで、「著者に会いたい!」と思った本です。この先もずっと、何度も読み返すことでしょう。
福島泉(ヨーガセラピスト)
「フードジャーニー」を読み終えました。 「長い生命の旅」を長沼さんの文章と共に時空を超えた旅をし、「今ここ」(=僕が暮らす日本の里山)へ還ってきた感じです。 この本は「分断」から「統合」へ移行していく時代において、境界線を飛び越える「知の翼」のようです。 食べて生きて、旅をして、「縄文」・「コメ」・「発酵」を通して、僕らの「魂」をつくってきたプロセスは、僕の「ソウルジャーニー」と重なります。 行き当たりばったりの人生で、アメリカ・アジア・ヨーロッパ・日本を流れるままに旅して来た僕が、房総半島の里山で米・味噌・醤油・酒を多くの人たちと共につくっている人生の不思議を説明してくれているようでした。 今後は一緒に、天水棚田でのお米づくりを楽しみましょう。
林良樹(農家・アーティスト・NPO法人うず理事長)
『フードジャーニー』を、じっくりと堪能させていただきました。
「縄文から始まり、コメと大豆の出合いに至る日本列島のフードジャーニー」を見事に描出された力量に加えて、博識と達意の文章に、そして滲み出るお人柄に、感服しています。
長沼さんの本を読み解く才能には、私とのインタビューで身に染みて感じていたのですが、引用されている本の多彩さにも感服です。(誰かさんの言うような薄っぺらな意味ではなく)“総合的・俯瞰的”な生物哲学として新領域の長沼ワールドを開拓された、と感じています。
高木由臣(理学博士、奈良女子大学名誉教授)
「人類が長い歳月をかけて続けてきたグレートジャーニーの根底には〝食べて〟〝代謝して〟〝快を求める〟という行動目的がつねにあった」
「グレートジャーはフードジャーニーであったといえる」
およそ300ページにわたって「自然科学と人文科学とが交差した内容」が盛り沢山に書かれている本著は、長沼先生がこれまでに収集されてきた膨大な知識情報がギュッと纏まった内容です。
昨日と本日の2日間かけて読みましたが、内容が物凄く濃密ですので、何度も何度も読み返して徐々に咀嚼して理解を深めていこうと思います。そしていつかどこかのタイミングで生徒たちにもこの情報を伝えて共有していけたら最高だなぁと思っています。
長沼先生から色々とお話を伺った「腸とインナーマッスルとの関係」についても触れられていました。長沼先生からまた色々とご教授頂けたら嬉しいなぁと思っています。
髙橋正也(開成高等学校保健体育科教諭)
「食」を求めて、地球の起源から、人類の起源、そして私たちの細胞、共生する微生物まで遡る・・・まさに壮大な旅です。
「食」という問題をどう考えるか?栄養教育はコロコロ変わってきました。なぜ、昨日言っていたことが今日になって変わってしまうのか? 最大の理由は「栄養素で理解できる」と考えたことにあります。その影響でしょう。ごはんを食べることを「糖質」を食べる。肉を食べることを「タンパク質を食べる」ことだと錯覚する人たちを増やしてきました。そして、そのように考える癖がついてしまった人は、マグネシウムだ、食物繊維だ・・・という新しい情報に接するたびに右往左往することになります。そのような人を、私は「情報過食症」と呼んでいます。
本書のように、幅広い視点から「食」を見ると、右往左往することはありません。根や葉から「果実」を考えると言うべきでしょうか? 「実」だけを見ている人は「根も葉もない話」に右往左往するだけです。幅広い視点から「食」を考える知的好奇心を満たしてくれる良書です。
幕内秀夫(管理栄養士)
https://ameblo.jp/makuuchi44/
「森は森を愛するすべての人に開かれていなくてはいけないよ。」
これはわたしがかつてお世話になったオーストラリア先住民、クク・ヤランジ族の酋長のコトバです。
この本の中にもあるように、悲惨な歴史を持ちながらも発せされたこの酋長のコトバの重み。彼らは豊かな森の中、悠々と生命のトキを刻みながら生きる智慧を与えてくれました。
これは今もわたしの生きる指針となっています。
「融合」とは、悲しみをも内包し、繊細でいて壮大なヒトの内なる「森」が成せる技なのかもしれず、その手本は本来の森の姿の中にあったものかもしれないとこの本を読んで感じています。
長年かけて実践、研究されてきた成果をこんなにもわかりやすく、どのジャンルにも属さない新しい切り口で提示してくださる長沼さんの心根の優しい「間合い」を感じます。そこから自由な創造がそれぞれにはじまっていく、そこにすべての命にひらかれた森を感じるのです。
これから折に触れて読み直し、自身の旅を深めていけることも楽しみのひとつとなりました。
「森が健やかなことは、わたしたちヒトの健やかなることに直結している」ということを、吉野に住まい、各地にご縁をいただきながら影絵作品を制作する中で感じていたことに光明がさしたようでもあり、とても嬉しくなりました。
そして、わたし自身もアジールに焦がれた旅人なのかもしれないと・・・、内なる「森」を豊かに、これからも旅を続けていきたいと今、新たなる希望を見ています。
わたなべなおか(物語作家、やらだ出版代表)
https://yalada.jp
生体コミュニケーション論で綴られる本書は、私たちの日頃慣れ親しんだ時間軸を遥かに超えながらも、身体と生命に筋道が通っているため、壮大でありながら一貫性がある内容となっている。
いつからか私たちは思考で考え食べるようになったと言われるが、いつか私たちは身体に耳を傾けミトコンドリアと共生するような食生活に戻れるのだろうか。
近代になり自由と選択肢が広がった日本人が、理解と共感の上で主体的な意志で日本食へ還る旅路はそのままフラクタルに展開していく平和活動であると思えた。
藤代健介(アーティスト)
https://nesto.life
内側と外側とを隔てる膜(隔離膜)は非常に重要である。ミトコンドリアで内膜の具合が悪くなれば、エネルギーが作れなくなるし、細胞の膜が破壊されれば細胞は死んでしまう。
では、腸内環境や日本人を形作る「隔離膜」は何なのか。「隔離膜」をキーワードとして、ミトコンドリアの様に目に見える隔離膜から日本人社会といった目に見えない、しかし厳然として存在する隔離膜まで、その一つ一つの事象を吟味した著者がたどり着いた結論、「日本人を形作っている「隔離膜」は日本人の日々の食物にあるという」結論は説得力がある。また、そのために日々の食生活が如何に大切さも教えてくれる。
5年間という長い時間をかけて蓄えた知識を生(き)のまま出すのではなく、ちょうど旨い酒を醸し出すようなまとめ方は著者のこれまでの知識の集め方を彷彿とさせる。その意味でこの本は、これまでとは一線を画す異色の本である。
手に取って、著者の思考空間を是非楽しんでみて欲しい。
米川博通(東京都医学総合研究所 生体分子先端研究分野 研究員)
日本の古代史は、狩猟・採集生活中心の縄文時代から、農耕(稲作)・牧畜に移行していった弥生時代と、これら2色のグラデーションで理解されてきた。しかし、この書では、そのどちらでもないドングリなどの採集に軸足を置いた地域や時期みられたとし、「オーク(どんぐり)文明」という呼称を当てはめた。私自身、この概念(言葉)に心ときめいた。
ドングリは100gあたり252kcalと、その熱量はコメ(精白米のごはんで168kcal)を上回るという。ドングリはブナ科の樹木の堅果の総称だが、収穫できる時期は、落葉広葉樹のナラ類が9月下旬頃から始まって、常緑広葉樹のカシ類は場所によるが2月頃までと結構長い。そして、アク抜きさえすれば、食べられないドングリはない。
実際、全国各地の縄文遺跡で「どんぐりの貯蔵穴」が見つかっているが、多くは地下水の湧くところに作られている。どんぐりを地下水に浸すことによって、発芽を押さえたり、どんぐりに産み付けられた虫の卵やふ化した幼虫を殺すことができるのだが、さらにどんぐりのアクを抜くこともできる。私自身、ドングリを幾つかの方法で食してみたが、当時も手に入れることのできたオニグルミの実やハチミツを混ぜ焼いてみると、口へ運ぶ手が止まらなくなった。
こうした経験から、「オーク文明」という概念は、とても喉ごし良く私の理解に収まったが、さらにこの書では、「狩猟採集民は、人類史上最も余暇に恵まれた人たちであった」と続けている。オーストラリアの原住民アボリジニの場合、成人男子は1日平均3時間50分、成人女子は3時間44分、食料を得るための労働に時間をさけば、家族を養うことができたという報告がある。
そこで生まれた彼らの余暇は、独自の造形表現によって彩られたアボリジニ・アートを生み出した。芸術家岡本太郎氏に「心身がひっくり返るような発見をした」と言わせた日本の縄文土器や土偶も、やはり狩猟・採集民の余暇が生み出したアートかもしれない。こうして「オーク文明」という概念は、私の想像を超えさらに奥行き深く広がった。私も、「オーク文明」の深化に参加したい一人となった。
フードジャーニーという視点で歴史を読み直すと、こんなにも発見があるのか。ユーラシア大陸の極東に浮かぶ日本列島は、フードジャーニーの末に結実した希有な文化・生き方を受け継いできた人たちの住む島々なのだ。
東林正弘(森林インストラクター)
http://www.enyatotto.com
これまでたくさんの日本人ユニーク論を読んできたが、この本にはこれまで見落とされていた新たな側面から私たち日本人の源泉と「あるべきよう」が、著者の生命科学的知識と独自の哲学論から説得力をもって記述されている。
世界地図を縦にして見えてくる日本の役割。南北でなく東西を起点にして見えてくる日本人の季節感と自然観。これまでの仮定や前提を取り去ってみるとあたらしい世界がひらけてくる。
XY軸を広げて地球全体からみる視点、さらにぐっと引いて宇宙から見る視点、Z軸を遡って太古の歴史からみる視点、種を超えてあらゆる生物を取り込んだ視点、身体のなかに入り込んで素粒子からみた視点。自分という存在を、3次元的時空間から解き放すことで、その神秘とありがたさに感動を覚える。
個人的には、縄文時代に生きていただろう自分の生活に思いをはせ、現代に生きる自分の内なる声と交わっていることを再認識したことで、私が真に求めているものがわかってきた。
常井美幸(映画監督・プロデューサー)
https://konomi.work
この本で展開される食の旅は、
時を超え、空間を越え、文化をつなぎ、学問をつなぎ、
心と体を豊かに充たします。
中村桂子(生命誌研究者)
文系理系という不毛な分断を、軽やかに越える快作/怪作だと思います。
知的快楽を心ゆくまで堪能したい人に激しくオススメです。
藤田一照(禅僧)
一読して、他に類を見ない、これまでになかったユニークな視点の本だと感じました。
腸内細菌に関する私の研究も多く引用されていますが、内容的に申し分ありません。時間をかけ、本当によく書けています。
「フードジャーニー」というタイトルもとてもいいですね。これからの著者の活動に期待します。
光岡知足(理化学研究所名誉研究員、東京大学名誉教授)
「フードジャーニー」、拝見しました。4次元的スケール……いや、空間・時間に愛を加えた5次元のスケールのお話でした。
日本人として、地球の細胞の一つとして、祖先が暮らしてた歴史や環境について学ぶことができました。 私たちの祖先が銅板だとすると、風土がトンカチとノミで、長期間の地道なエフェクトにより、現在のヤカンとしての私たちが形作られているのだなと。未来のヤカンは今と違う形をしていると。
また、地球がヤカンなら私たちは銅の分子です。環境を破壊することで地球がいびつなヤカンにならないことを願いたいです。
すべてが膜で繋がっている話も、圧倒的です。連続的なふるいにかけられて大から小に、スポっとハマった感覚を受けました。マトリョーシカのような、硬貨を50枚づつ数える道具にハマった10円玉のような規則性を感じます。
雷とミトコンドリアの話も、衝撃的です。 水や空気中の分子が熱・重力のエネルギーによって作用して雷が発生し、そのエネルギーが工場の役割をなして、生物に繋がる。それに似たことが体内でも起こっていると。
映画「Men in Black」で、猫の首飾りにあった宝石が、実は大宇宙だった。この地球は神が遊ぶビー玉の中の宇宙にあったみたいな、輪廻っぽい現象ですね。勉強になります。
これらに知識として触れると、資源循環は良いことではなく、地球の生態学上では当たり前の事なのだと感じます。当たり前のことをしなかったから、食べ物の力が薄くなってしまったのでしょうね。当たり前に戻していきましょう!
長沼さんの徹底した取材と深い哲学が、またもや私のパラダイムをぐるぐるかき回します。ありがとうございます。
斎藤貴視(自治体職員)
長い間、人間の食生活や社会活動から排出される下水を浄化し、美しい川や生態系を守る下水道テクノロジーにかかわっているが、その主役は人類が誕生する前から地球にいる微生物たちである。
微生物には下水中の有機物を分解するものや発酵させるものがいる。そして、この自然のチカラは美味しい食や地産地消のエネルギーをつくることで持続的な地域社会を形成する。捨てていた下水は、実は「地域の宝」のようだ。
そんなことを考えているときに「フード・ジャーニー」に出会った。この本は、人間にとって生きるための基本的な活動である「食」を通して、人間そのもの、そして共生について、歴史、文化、微生物学など様々な視点から捉えている。私には「フード・ジャーニー」は、地域の「宝さがし」の旅に思える。
加藤裕之(東京大学工学系研究科 都市工学専攻特任准教授)
『フードジャーニー』では様々な切り口から、身体や生命の本質、長い歴史の中で脈々と息づくストーリーなどに触れていきます。
その中で、生命はそれを養う力や心地よさを常に求め続けていることが明らかにされます。それは個やアタマの力では決して抗えないものであるように感じます。
私自身、数年前から自給分の米や大豆づくりを始め、最近では味噌、醤油、納豆などの発酵食にも挑戦しています。『フードジャーニー』の視点からすると、最近の私自身に起きていることは、ひょっとしたら身体や生命のはたらき、そこからの引きなのかもしれません。
これからも農や食に関わり続けると思いますが、私自身は身体や生命のはたらきを自覚しながら、健やかに機嫌よく居ることを大事にしていきたいと思っています。長沼さんの静かなまなざしが感じられる『フードジャーニー』。身体や生命のはたらきが目覚めるきっかけになるかもしれません。
大谷健(百姓“見習い”)
「フードジャーニー」を読ませて頂いて、長い間自分の中で解明できなかった「問い」に対する答えのきっかけを頂くことができました。
28歳の時に体調管理を怠ることにより、挫折を経験し、この命を大切に使い、願望を成就させるために食養に取り組み始めました。
学びを深めていくうちに、いつからか、心と体を整えて、生きる喜びを実現すること自体が目的化していき、内面的世界と現実世界を繋いでいくことに意識が向かうようになりました。
食事、睡眠、呼吸、運動などにゆるく取り組む中で、どうしても軌道にのせられないのが「リズム」でした。直感として、「ルーティーン」と「リズム」が全ての学びを「統合」する鍵になることは肌感で分かっていましたが、なかなか腹に落ちないのか実践できない・・・。
「フードジャーニー」を読んだことで、生命の進化と人類の進化と日本の成り立ちを重ね合わせながら、「生きて食べることの本質」に触れることができ、疑問に思っていたことがつながっていきました。
「生命とは、目に見えるデータや科学的根拠の向こう側にある、目に見えない、でも確かにあるもの。生きる物差しになリえるほどまでに感覚を削ぎすませていくこと。背後にあるものにこそ眼差しを注ぐこと」
こんな風に「人生の達人」になりたい!
今コロナ、マスク、ワクチンなどで、人類の分断が加速化しています。
もし皆が協力して、植物への依存度が高い生活を始めれば、自分の体や心に目を向ける余裕ができ、様々な矛盾に気付き始めるかもしれません。
これからの時代の混乱に飲み込まれず、心地よい間合いで、付き合っていきたい。セルフメンテナンスを通じて長生きして、文明の進化や動向を長く見守っていきたい(笑)。
ありがとうございました。
宮田恵一(柔道整復師・はぐくま整骨院・すこやか整骨院とべ院代表)
https://seikotsu-matsuyama.com
https://sukoyaka-seikotsu-tobe.com
食べるということは生命の営みに必要なエネルギーを取り込むこと。しかし、単なる「栄養補給のため」と思って食べる人は少ないだろう。
食べることは「幸せ」「幸福感」を味わうこと。それは生きることに直結する。 またその逆のベクトルにも 食べる→幸せ→生きる……それがよく分かる内容で、食べることの意味が再構築できた。
また、生きるための「食」の視点から人類の歴史を再確認する事もでき、彼らが身につけた生きるための知恵のおかげで今の我々が存在できていることに改めて感謝の念が浮かんだ。
前川憲大(理学療法士)
私たちはいつのまにか多くの「思い込み」を抱えながら日々を生きている。
その「思い込み」に至る魔法の因果に気づかぬまま、新しい魔法に晒されては互いに世界を狭く縛りあってることに無自覚であることが多い。
長沼さんの『フードジャーニー』は私たちに古来からかけられていた魔法を「歴史的」にも「科学的」にも明晰な文体で細胞レベルから解くことのできる画期的な一冊となっている。
新しい時代を迎える今こそ、本書を通して自分へと繋がる生命としての旅を追体験する事で、幾重にも折り重なった「思い込み」を解き、心身の伸びやかな拡がりを獲得する事で私たち日本人が忘れてかけていた「記憶」と「希望」を再発見することができるのではないでしょうか。
井島健至(カメラマン)
現在の私たちの世の中でどのようにして健康を維持するかを考えた場合、日本あるいは世界に住む方の健康維持の情報を入手してそれを活用しようとするのが、私を含め多くの方がとる手法ではないでしょうか。
いわゆる学術論文や学会活動もその手法で成立しているといって良いでしょう。これを別の言葉で言い現わせば、「横に広がるネットワーク」と言えるかもしれません。このネットワークの特徴は、双方向性で成長したり変化したりすることにあります。
しかし、Food Journeyでは、歴史的な観点(縦方向のネットワーク)からもヒトと自然の成り立ちについて考察しています。この縦方向のネットワークは、双方向性ではなく、文献的考察と想像を駆使して作られる「創造」の産物です。従ってこの書物は長沼敬憲氏の夢の旅行と呼べる書物で、批判的な目を持たず著者の旅を楽しむことが大切です。
私も長沼氏の夢の旅行にご一緒させていただいた読者として、「楽しい旅だ」という感想を皆さんにお伝えしたいと思います。
佐古田三郎(医師)
都会でのパターン化された暮らしの中で「自己の喪失」に苦しむ人たちが、たくさんの時間とお金を費やして「自分探し」に必死になっています。
でも、意外と答えは目の前の【食】という日常の行為にあるかもしれません。
そして、その切り口から導き出される「自分」とは、誰に対しても平等に開かれ、全ての人と分かち合うことのできる「自分」だったりします。そんなステキな物語がこの本「フードジャーニー」には描かれています。ぜひお読み頂ければと思います。
木戸寛孝(コンセプトデザイナー)
食べることの意味合いを、歴史、進化、旅、信仰、栄養といった観点から、分かりやすい言葉を利用して説明してくれている書籍です。
科学的なこと(見えるセカイ)と、非科学的なこと(見えないセカイ)とがバランスよく配置されていて、あっという間に読み終えてしまいました。
食べることだけでなく、いろいろなことにも共通する世界観みたいなものも感じました。言葉にするのは難しいですが。
ともあれ、食べることは誰もに必要なこと。本書は食べることの意味を改めて考えみるきっかけ、ひいては、読者の世界観を変化させるきっかけになると思います。
金尚弘(東京農工大学工学研究院准教授)
長沼さんから「フードジャーニー」の構想を聞いたのはもう5年位前のことです。それ以来ずっと待っていた本を真っ先に読ませていただくことが出来ました。
当時の私はただただ本やネットからの知識だけでマクロビオティックやビーガンの考え方に傾倒し、どこか「義務」のような感覚で「和食、菜食にしなければ!」と人生で初めて食生活の大切さと向き合っていました。
ところが周囲に薦めてみてもほとんど受け入れてもらえず…。理解も得られずに、今にしてみればずいぶんと『窮屈』に食と向き合っていました。
そんな折にフードジャーニーで知ったのは「(世界と比して)独特な文化、食生活を育んだ日本人」という存在。私達の祖先はアフリカからの長い長い旅の果てにたどり着いた水の豊富な塩に事欠かない島「日本」で世界基準とは違う食、つまり「米」を主食とし、大豆や塩からなる発酵食品で生きてきた民族であり、和食や菜食のような食生活は本当はとっても「自然な流れ」として受け継がれてきたことを知りました。
「そうか!日本人は和食のような独特な食文化を栄養のために受け継いだのではなく、空気のように自然に受け継がれてきたんだ!」
戦後70年はそんな食文化もずいぶんと後退したかもしれません。それを100%復興するのはもう無理かもしれません。ですが、ごくごく自然に受け継がれてきた伝統食が今の私達のルーツであり、決してその長い歴史を簡単に消すべきではないんだなと教えられました。
栄養素主義や頭でっかちなイデオロギーで食を考えるのではなく、この本を通して皆さんにも歴史を旅しながら「食」について考えてもらえたらこの本のファンとして嬉しいです。
野口久美子(主婦)
ひと言でいうなら「人はどこから来て、何を食べてきたのか?」というテーマを深く解き明かしている本です。
しかし、一般の進化論的な話ではありません。「食」という、こんな身近なテーマが、これほどまでに深く、あらゆる物と繋がっていることに驚かされます。しかも、面白く、分かりやすいので、驚いたり、納得したり、終始ワクワクしながら読むことができるはずです。
古来、生物は生きるために食べ、食べるために行動し、よりよく食べるために体を進化させてきました。つまり、「食べもの」=「命」であるわけです。
我々人間も、はるか昔は、食べることを根底に生活が形作られていた時代が長くあります。そして、その営みが、地域独特の風土を醸し出し、文化を生み、文明を作り出してきました。その視点から見ると、人類の悠久の歴史の根底には「食」があることが分かります。
また、動物が生きるために摂取する「食べ物」は、その地域の植生によって決まります。植生は気候によって左右され、気候は地球の環境によって作りだされ、地球は宇宙の法則によって動かされ、宇宙は・・・・
ミクロ的には、食べ物によって体が作られ、体を動かすエネルギーを得るため臓器が動き、臓器を動かしているのは細胞であり、その細胞ひとつひとつが生きるためのエネルギーを生み出だしています。
ですから、ある意味、細胞から宇宙まで、形ある世界、この空間は全て「食」によって繋がっているともいえるわけです。
つまり、歴史と宇宙、時間と空間、別々に思えるすべてが「食」で繋がっていることに気づかされます。そして、自分の中に、人類の歴史があり、宇宙があることを実感させてもらえます。
また「食事」をひも解いていくと、私たちは、腸の中の菌との共生によって成り立っており、あらゆる菌との共生こそが、絶妙な調和を生み出していることが分かります。その姿をみると、「世界平和の根底も腸内環境にあるのではないか」、そんな壮大な、ある意味、細密な思いを抱いてしまうのは私だけでしょうか。
古文書、歴史学、哲学、医学、生物学、文化人類学、自然科学・・・・ありとあらゆる事例、文例から「食」の本質を掘り下げ、仮説や可能性も含めて、分かりやすく見せてくれています。
でも、面白いことは、これだけ論を重ねていながら、最終的に理解するしない、受け取る取らないを、「エビデンス」による説得ではなく、「読者のセンス」に任せているあたりが、著者・長沼さんの懐の深を感じます。
長島光明(ビジョンカウンセラー)