取材を通じ、様々な分野の研究者・専門家にお会いしてきました。その中から「フードジャーニー」に関連する内容を抜粋し、ご紹介します。
「ヒトは“唯一毒を扱う生き物”だと思いますね。」(幕内秀夫・管理栄養士)
――人類のルーツをたどる「グレートジャーニー」ってありますよね? アフリカから始まって、世界各地に散らばっていくなかで、僕たちの祖先は日本列島にたどり着いたわけですが、結局それは「食べるための旅」だったと思うんです。
先生が食品学から離れてから民俗学などを学ばれるようになったのは、歴史など大きな視点で食を見ようとしたからでしょうか?
幕内: 要するに食生活は無文字文化ですから、歴史は権力の歴史ですが、庶民の生活史は民俗学なんです。だから私は、40代で國學院大學の聴講生として民俗学を学んだんです。
もちろん、別の字の民族学などついても山ほど勉強しましたよ。それこそ人類の起源の話から始まって広く浅く……。つまり、徹底的に広く見ようと考えたんです。
――ちょっと大上段な話なんですが、ヒトってどんな生き物だと思われますか?
幕内:難しい質問ですね。
――歴史のなかで多様化していくことで、いまがあると思うんです。そこには様々な意見があると思いますが、そもそも原点に戻ってどんな生き物なのか? 食の問題に照らし合わせてお話いただけると……。
幕内:(少し考え)ヒトの定義は「唯一毒を扱う生き物」だと思いますね。
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「人が生きていくには、真・善・美の探究が必要になります」(光岡知足・生物学者)
――善玉菌をいかに増やすか? そこに腸内環境を改善することの意味があると……。
光岡 腸の健康に関してはその通りです。食事とストレスケアをしっかりやれば、腸内フローラの改善は決して難しいことではありません。ただ……。
――ただ?
光岡 ただ、人間の社会に当てはめた場合、少々厄介な問題が出てきます。具体的には、脳の働きがからんできます。
――ああ、脳ですね。確かに微生物の世界とは大きく異なります。
光岡 菌のような微生物には脳がありませんから、自然の法則に忠実に従うことができます。ハチやアリも脳は小さいですから、ほとんど本能だけで生きているでしょう。しかし、人間は脳が発達しているため、自然の摂理に反することを平気で行うところがあります。
――発達した脳がかえって問題を複雑にしているんですね。この問題とどう向き合ったらいいんでしょうか?
光岡 難しい問題ですが、自分自身を律する意識があるかどうかでしょう。そこで必要となってくるのが、哲学であり、宗教なんです。「真・善・美」という言葉がありますね? 人間がこの世界と調和して生きていくためには、この真・善・美の探究がどうしても必要になってきます。
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「我々の社会が生命だということです」(栗本慎一郎・経済人類学者)
――先生の経済人類学には、そうした全体を捉える、いわゆる「生命論」の視点があるわけですよね?
栗本:最初からそういう視点で歴史をやろうと思ったんじゃないんですよ。一個一個を調べていくとどうも辻褄が合わない、それでずっと研究しているうちに、(歴史の本質が)生命論だということが見えてきた。(1988年に上梓した)『意味と生命』の最後に「これからは歴史をやるんだ」と言っているのはそういうことなの。
――結局、一つ一つがつながっていったということですね。
栗本:そう。我々の社会が生命だということです。ガンがどうしたという話だけじゃなくて、むしろ社会がどうなるかということが我々の生命論であり、意味であると。
――例えば、パルティア帝国とかミトラ教とか、蘇我氏とか、南シベリアとか、先生の本には様々なキーワードが出てきますが、これらが一本の線でつながったという感覚はどのあたりで得られたんでしょう?
栗本:一個一個、気になることがあったんだよ。それをまとめていって、構成するとこういう本になったという感じです。じゃあ、なぜ気になったのか? それはわからない。勘といえば勘だし、どこかで体がそれに反応したという可能性があるかもしれない。
――先生の発想はいわゆる弁証法的なものとは逆のような気がするんです。
栗本:全然ちがいます。まるっきり信用していないからね、弁証法なんて。
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「具体的なことから“どう生きたらいいんだろう?”を考えるんです」(中村桂子・生命誌研究者)
――先生はどんなふうに問いを立てるんですか?
中村 「この蜘蛛が生きている」という具体的な事実があって、そこから「どうやって生きているの?」という問いが生まれ、その次に、「私も生きている。それと同じね」ということを考えて……。そうやって「生きているって何だろう?」ということを探しだすのが好きなんですよ。具体的なことから「私はどう生きたらいいんだろう?」ということを考える。「生命とは何か?」なんていう抽象概念を考える頭脳を、残念なことに持ちあわせていないんです。
――具体的なものを手がかりにしないと、実感が湧かないという感じでしょうか?
中村 体にストンと落ちるものでないと、ダメなんです。頭で理解している状況はいやなんです。哲学者たちは難しい抽象概念もストンと腑に落としているのかもしれませんが、私の能力では落ちないんです。だから、私は「生きているってどういうことだろう?」と考えた時に、蜘蛛や蝶がやっていることをまず観ます。「蝶のお母さんはスゴイことをやっているな」と思うことで、「人間のお母さんもスゴイことをやっているな……」と考えていくことができ、「生きるってこういうことじゃない?」とだんだん思えるようにもなる。私の場合、どうもそういう考え方しかできないみたいですね(笑)。
――ただ、先生もお書きになっていますが、科学自体に抽象概念になりかねない部分がありますよね? 研究するほどに、日常とか自分の生活といった具体的な世界から離れていくという……。
中村 (一般的な科学では)専門化するということは、より抽象化することとされていますけれど、私の場合、それが日常とつながった時に初めて自分にとっての学問になるんです。
――もしかして、そこが伝えづらかったんですか?
中村 ええ、全然わかってもらえませんでしたね。私はここを作った時、「生命誌研究館」という6文字の言葉をセットで思いつきました。生命誌をやりたくて、普及するために研究館を作ったのではなくて、生命誌は研究館でしかできないと思ったんです。
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「真実はつねに存在を問うてくるんです」(辰巳芳子・料理家)
「出汁をちゃんと昆布と煮干しの良いものでひいて、良い野菜を入れ、本物の味噌で味噌汁を作る。これができれば、ほかには何もいりませんよ。
とにかく、ちゃんと昆布と煮干しの良いものを使うの。鰹節と煮干しの出汁と比べたら、煮干しのほうが栄養があります。骨もあるし、毎日のことだからこれを食べると食べないとでは大変な違いですよ。
あとで実際に、煮干しをむしってごらんなさい。煮干しのなかの骨や頭を見れば、どうしても煮干しが大切だってわかるから。触ってわからないなら、いまの仕事は辞めないとね。偽物はいらない、本物がわからないと。
いいですか、真実っていうものは、つねに迫ってくるものなんです、“お前さんどうするんだ?”ってね。その時に、どの分野の人でも、“良いことは良い、悪いことは悪い”ってぴったりと認められる人間にならなきゃいけません。そういう人間にならないと本当に存在の意味がない。真実はつねに存在を問うてくるんです」
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「ハワイの自然の穏やかさに日本人は共感するんでしょう」(レイア高橋・ヒーラー)
――ハワイは近代を迎えるまで、長い歳月にわたってこうした豊かな自然が手つかずに近い状態で保存されてきた歴史がありますね。
レイア もちろん、ある時期から人が住むようになり、狩猟、採集、そして農耕が行われてきましたが、キャプテン・クックが来航したと言われる18世紀にいたるまで、欧米の文明の影響を受けることはなかったと思います。
――いまの日本人には、縄文の頃のDNAがかなり残されていますから、日本人にハワイ好きが多いのも、単なる観光やリゾート目的でなく、そこにある種の懐かしさ、体に内在している自然の力を思い出す面もあるように感じるんです。
レイア ハワイの自然は、人間にチャレンジしてくような過酷なものではなく、優しさと癒しを与えてくれる穏やかさがあるでしょう? 実際にハワイに住んだことがなくても、日本人のように自然とともに暮らしてきた期間が長い人たちは、その穏やかさの部分に共感をおぼえるんでしょうね。お天道様に感謝したり、収穫を祝ったり、人間が生きていくいちばん基本の部分にクリックするんでしょう。
――穏やかさに共感するわけですね。
レイア 一口に自然と言っても、ネイティブアメリカンが体験してきた自然は、砂嵐はくるわ、毒蛇、毒蜘蛛、さそりはいるわ……。冬は雪に埋もれ、夏は炎天下で30〜40度を超えるような真夏のぎらぎらした太陽のなかで、作物は育たず満足に飲み水すらありつけない……というような土地もあったんです。
――自然との共生と言っても、住んでいる場所によってまったく違ってくるという。
レイア ハワイの自然は何もなくても魚は勝手にやって来てくれますし、植物がよく育つから野菜も果物も豊富で食べるのも困らない。真冬にビーチで横になっても凍え死ぬことはないし、どんなに暑くても日陰に入れば十分に心地いいから、いのちの危険を感じるとか、尊敬しないと生きていけないなんていうことはありません。そこにはただ、ありがとうございますという、感謝しか生まれないわけです。
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